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旭川医科大学 眼科の沿革
旭川医科大学
眼科の沿革
教室の沿革
旭川医科大学眼科学講座は、旭川医科大学附属病院の開院と同じく1975年4月に開設されました。初代教授保坂明朗先生で、酒井忠一助教授とお二人で教室を立ち上げられました。その後徐々に医局員が増え、少しずつ医局の体制が整えられました。当時は教授も含め医局員全員で病院業務に加えて当直や地方診療応援をこなされていたようです。その後、医局員が増えるに従って、北見赤十字病院、名寄市立病院、稚内市立病院などに常勤医を派遣し、道東道北の地域医療の充実を図るようになりました。同時に早くから海外留学を推進しており、入局後2-3年で多くの若い医局員がボストンのハーバード大学に留学し、円も安くインターネットもない時代で大変なご苦労をされながらも大きな成果を上げご帰国され、これがのちの医局の繁栄につながったことは間違いありません。
1992年からは本学一期生である吉田晃敏先生が二代目教授に就任されました。その後、毎年多くの眼科医局員が入局するようになり、医局は飛躍の時期を迎えました。関連病院も加速度的に増え、道東道北はもとより道南を含む北海道全域、さらには福島や秋田、仙台にも医局員を派遣している時期もありました。同時に多くの先生が海外留学され、最大5名の先生がアメリカに留学されている時期もございました。世界最大の眼科国際学会であるARVOには毎年多くの医局員が発表演題を持って参加し続け、日本はもとより海外からも高い評価を得ておりました。教室の専門である網膜硝子体手術件数も右肩上がりで増え続け、さらに角膜や緑内障分野でも若い先生が積極的に国内留学をして高い診療技術を旭川医大に持ち帰り、臨床面でも国内有数の眼科施設に成長しました。
2007年に吉田教授が旭川医科大学学長に就任されてからは眼科教授不在の時期が長く続きましたが、その後も入局者は増え続けて、さらに活気ある医局に成長しました。教室の伝統である臨床と研究の両立を目指して、多くの先生が大学院に進学し、眼科の基礎研究で学位を取得しました。このころには眼科の一流国際雑誌に数多くの論文が掲載されるようになり、また国内の学会でも複数の先生がシンポジウムを担当されるなど、国内外から高い評価を得るようになりました。
2018年から第3代教授として柳靖雄先生が赴任され、先生のご専門である黄斑疾患のメディカルレチナを充実させていただきました。2020年に柳先生がご退職され、2023年10月より第4代教授として私(長岡、本学16期)が赴任し、現在に至っております。教室開設以来の伝統である網膜硝子体疾患はもとより、角膜?涙道、緑内障、ぶどう膜炎、斜視弱視など幅広い専門知識を持つ眼科専門医を揃え、道東道北の眼科医療の最後の砦として万全の体制を構築すべく、医局員一同努力を続ける所存です。
2024年春からは横田陽匡先生(本学21期)が日本大学から准教授として着任され、東京での豊富な臨床経験を元に医局のさらなるレベルアップを図るとともに、5月からは寄附講座として眼科地域医療創生講座を立ち上げ、木ノ内玲子先生(本学12期)に特任教授、西川典子先生に特任准教授(本学21期)にご就任いただき、北海道の眼科地域医療の充実を目指して、さらに医局を発展させていこうと考えております。また、大学院にも2名の先生が進学してくれましたので、医局の研究面での大きな推進力として期待しています。
2025年には旭川医科大学眼科学講座は開講50周年を迎えます。振り返りますと、まだまだ医局員が少ない黎明期に、勇敢に海を渡って留学し、新しい知識と技術を持ち帰り、それを旭川医大で発展させるよう努力して下さった諸先輩方と、人手不足にもかかわらず若い先生の挑戦を強く後押しされた当時の指導医の先生方には、北海道に根付くフロンティアスピリット、開拓者魂を感じます。この良き伝統を継承し、我々も挑戦を続け、進歩がめざましい眼科の新しい診断?治療を積極的に取り入れて北海道の眼科医療レベルの向上に努め、旭川医大眼科医局の次の50年を担う若い世代にできるだけよい形でバトンを渡すことができるように教室を成長?発展させたいと思っています。これからもご指導ご支援の程、宜しくお願い申し上げます。
2024年4月 文責 長岡